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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)3284号 判決 1978年5月31日

原告

和宏鋼業株式会社

右代表者

松井重一

右訴訟代理人

水野武夫

外三名

被告

島之内物株式会社

右代表者

宮田貴代

右訴訟代理人

谷五佐夫

主文

一  被告は原告に対し、金七五〇万六一四七円とこれに対する昭和五一年七月六日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因1項は当事者間に争いがない。

二右当事者間に争いのない事実に<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告は昭和五〇年四月頃経営不振のため訴外富士軽金属株式会社の子会社となり、以後大きな取引等は、右訴外会社の承認なしでは原告独自にはなしえないことになつた。

2  同年一〇月二〇日頃、原告の元取引先であつた訴外平井製作所社長平井某から原告に対し、被告がステンレスを買つて訴外灰山電機株式会社に売るとの話しがあるが、被告へステンレスを売る取引をしないかとの話しが持ち込まれた。そこで、原告は被告との取引は初めてなので、被告や右訴外灰山電機株式会社の信用調査をするとともに、右取引の担当者として原告社員加賀敏之(以下、単に加賀という。)と前記訴外富士軽金属株式会社社員笹谷俊三(以下、単に笹谷という。)の両名を被告へ赴かせることにした。

3  同月二八日、右両名は、前記平井から、被告の輸出関係の仕事を被告の名でやり本件取引についても被告の担当員であると開いていた工藤に電話をしたのち、大阪市南区高津町五番丁二〇番地所在の被告本社のある島之内ビル(被告は便宜上形式的には親会社の島之内運送株式会社東大阪営業所―東大阪市中新開二一二番地―を本店としているが、実質上は右島之内ビル内に本社を有している。)に赴いた。右ビルは、三階を訴外株式会社渡辺が使用している外は、被告、前記島之内運送株式会社ら被告関連会社によつて使用され、一階右側にはステンレス等が積まれた倉庫とガレージがあり、一階左側のビルの出入口には被告ら右関連会社等の看板が掲げられていた。又、一階カウンター奥には事務机が六つ程並び、その奥には応接セツトが置かれ、二階には手前に事務机が四つ並んだ事務所と奥に被告の社長室とがあつた。

右両名は、右ビル二階の被告事務所受付で、「工藤をお願いします。」旨言つて同人を呼んで貰い直ちに右事務所内から現われた同人と一階受付奥の応接セツトで商談を始めた。その際、互いに名刺の交換をしたが、右両名が工藤から受領した名刺の表側には、「株式会社島之内工藤邦之助」と印刷されていたうえ、その左下に被告本社の番地とその電話番号が印刷され、裏側には被告の関連会社である二社(島之内運送株式会社と丸ヨ運輸倉庫株式会社)の本社や営業所の各所在地とその電話番号が印刷されていた。なお、その日は、右両名は代金支払方法としては前記灰山電機株式会社の廻り手形か被告の単名手形を貰いたいとの条件を提示するなどし、後日上司と相談したのち本件取引をするかどうかの正式な返事をする旨約して、別れた。

4  そのご、本件取引についての上司の承認も得られたので、笹谷は、同年一一月初め頃、甲二号証に印刷されてある前記被告本社の電話番号を頼つて工藤に電話し、原告が正式に本件取引をする旨の連絡をした。そして、原告は前記灰山電機株式会社鶴町倉庫持込渡しという条件で同月七日と一二日の両日に亘り合計七五〇万六一四七円相当のステンレスを右鶴町倉庫へ送つたうえ、同月二〇日過頃被告に対し、右売買代金の請求書を送付したが、被告からは何らの返答もなかつた。

5  同月一五日頃、加賀は上司より被告の注文書を貰うよう命ぜられ、自ら前記島之内ビルへ出かけたり或いは甲二号証の被告本社の電話番号を頼つて工藤に電話するなどして同人に対し右注文書の交付を数回に亘り催促したが、同人は、被告の社長が出張していて同社長の判が貰えないなどということを理由として右注文書の交付要求に応じなかつた。なお、加賀が最後に右注文書を貰いに出かけた同月一七、八日頃、同人は右ビルには不在で、隣りのビルにいるといわれ、右島之内ビルから、二、三軒離れたビルの二階の工藤商店の事務所に工藤を訪ねたが、同人には会えなかつたということはあつた。

6  加賀は、昭和五〇年一二月二〇日午前中、甲二号証の名刺の被告本社電話番号を頼つて工藤に電話し、被告からの本件売買代金の集金をしようとしたが、種々のトラブルがあり、結局原告は被告から本件売買代金の集金することはできなくなり、そのごはじめて工藤は原告に対し、本件取引は被告ではなく工藤が工藤商店としてなしたものである旨を表明した。

7  ところで、工藤は工藤商店として金属の販売、加工業をしており、昭和四八年九月頃、工藤が被告の貸ビルの一室を借りたことから工藤と被告との関係が始まり、工藤が自己の商品の運送や保管を被告に委託するなどの互いにかなり密接な取引関係に入つた。そのご、昭和五〇年六月頃、工藤がねずみ取機の特許をとつたら、メーカーから右機械を仕入れて被告へ売り、被告が更に他の商社へ売る、いわば工藤がブローカー的な役割をもつ仕事をする話しが工藤と被告との間でもち上り、工藤が右機械を一個(台)七〇〇円から八〇〇円で仕入れ、被告がその小売価格を一九八〇円と決めたのちその二、三割引の価格で工藤が被告の名で大手商社の訴外岩谷産業等に売り込むというところまで話しが進んでいたので、工藤は被告に対し、右売込みに使用できるような名刺の印刷方を要求し、被告の明確な承諾を得ないまま同年八、九月頃前記甲二号証と同一内容の名刺を一〇〇枚程印刷した。

しかし、右ねずみ取機の売込みの話しは、商品が不完全だつたことや工藤が特許をとることができなかつたことなどの理由から実現には至らなかつた。

又、工藤は、前記のように被告に対し自己の商品の運送や保管を委託していたこともあつて、始終被告の事務所に出入りをし、右事務所や一階応接セツトを利用して客と商談することもあつたが、被告はこれをすべて容認しており、被告の従業員は全員工藤を知つている程であつた。

以上のとおり認められ、証人工藤邦之助の証言中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく採用できず、他に右認定に反する証拠はない。

三右二の事実によれば、いまだ本件取引が被告と原告との間でなされたと認めるには不十分であり、他に本件取引が原告と被告との間でなされたことを認めるに足る証拠はない。

四しかしながら、右二の事実によれば、原告は前記平井某からの紹介で被告と取引ができるものと考え、被告の本件取引の担当員だと聞いていた工藤と交渉して同人と本件取引をしたのであり、同人から受け取つた名刺にも被告の名が印刷されており、本件取引成立後被告からの代金回収が不可能となつた段階ではじめて工藤から、本件取引が被告ではなく工藤がなしたものである旨聞いたのであり、又工藤は被告とは日頃からかなり密接な取引関係にあつて、始終被告の事務所に出入しりし、被告の事務所や応接セツトを利用して第三者との商談をすることもあつたが、被告はこれをすべて容認しており、本件取引の商談も被告本社のある島之内ビル一階応接セツトを利用してなされているのであるから被告は工藤を外形的には被告の従業員と殆んど同ように扱い、外観的には被告従業員であるかのような状況即ち被告自らが本件取引をしたと誤認されるような状況をつくり出しているというべきであり、それにも拘わらず被告は積極的に右誤認を阻止しようとせず、これを放置していたと認められるから、被告は黙示的に自己の氏名又は商号の使用を他に許諾した者として、営業主を誤認した者である原告に対し商法二三条による責任を負わなければならないというべきである。

そして、前記のとおり、本件取引による売買代金は合計七五〇万六一四七円であるから被告は原告に対し、右代金とこれに対する訴状送達の翌日である昭和五一年七月六日から完済まで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。《以下、省略》

(鈴木敏之)

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